現地生活

高校史上初、18歳の台湾進学。受験ムードの教室から、隔離ホテルの初授業まで

東田修二 / 國立陽明交通大學 在学中
陽明交通大学NYCU台湾留学
高校史上初、18歳の台湾進学。受験ムードの教室から、隔離ホテルの初授業まで

高校史上初。周りが受験でピリピリする中、台湾進学を選んだ私が、隔離ホテルで最初の授業を受けるまで

高校3年生の冬、クラスの空気はかなり緊張していました。休み時間も赤本を開いている人がいましたし、先生との面談では志望校の話ばかり。みんなが一気に「受験モード」に入っていくような雰囲気がありました。

そんな中で、私はひとりだけ台湾の大学進学を考えていました。周りに同じ道を選んでいる人は誰もいません。高校の先生も、台湾の大学進学について詳しいわけではありませんでした。

正直、不安はかなりありました。「本当にこの道で大丈夫なのかな」「もし落ちたらどうするんだろう」「みんなは普通に日本の大学へ行くのに、自分だけ変なことをしているんじゃないか」。そんなことを何度も考えたのを覚えています。

しかし、今振り返ると、あのとき台湾進学を選んで本当によかったと思います。台湾生活は、気づけば4年8ヶ月目に入りました。

今回は、私が高校史上初めて台湾の大学へ進学したときの話を書いてみようと思います。出願準備から渡航直後、そして隔離ホテルで大学最初の授業を受けるまでの話です。

誰も正解を知らなかった、高3の12月

高校3年生の12月。日本の大学を受験する人たちにとっては、まさに追い込みの時期です。クラスの雰囲気も少しずつ重くなり、みんなが自分の志望校に向けて必死になっていました。

その中で、私は台湾の大学のホームページをひたすら見ていました。どの大学に出願できるのか。必要な書類は何か。学習計画書には何を書けばいいのか。推薦状は必要なのか。締切はいつなのか。ひとつずつ、自分で確認していくしかありませんでした。

高校の先生に聞いても、前例がないので明確な答えは返ってきません。先生が悪いわけではありません。本当に、誰も知らなかったのです。ですから、大学のホームページや募集要項を何度も見て、自分で理解して、自分で準備するしかありませんでした。

今、台湾進学を考えている高校生に伝えたいのは、まず大学の公式サイトをしっかり読むことです。不安になる気持ちはすごくわかります。でも、応募資格や必要書類、申請方法は、探せばきちんと書いてあります。全部を一気に理解しようとすると、かなりしんどいです。それでも、ひとつずつ確認していけば、少しずつ道は見えてきます。

この時期で特に覚えているのが、推薦状のことです。出願書類の中に、「A4サイズ1枚程度の、英語または中国語による担任の推薦状」がありました。

私の担任は物理の先生。もちろん、英語の推薦状を書くことが専門の先生ではありません。お願いしたとき、先生がかなり困っていたのを覚えています。たぶん先生からしても、「台湾の大学?英語の推薦状?どうするの?」という感じだったと思います。最終的には英語の先生に翻訳をお願いして、なんとか提出できました。

あとから聞いた話ですが、私の台湾進学は職員会議の議題にまで上がっていたそうです。当時は、そこまで大きなことになっているとは思っていませんでした。でも今考えると、先生たちにとっても前例のない進路だったのだと思います。

なぜ、あえて交通大学を選んだのか

私が台湾の中でも交通大学、現在の陽明交通大学を選んだ理由は、かなりはっきりしています。日本人が少なかったからです。

台湾には、日本人留学生が多い大学もあります。それはそれで安心感がありますし、最初の留学先としてはかなり心強いと思います。でも私は、せっかく台湾に行くなら、日本語に逃げられない環境に行きたいと思っていました。

日本人が多い環境だと、たぶん自分は甘えてしまいます。困ったら日本語で相談する。中国語を本気で使わなくても、なんとなく生活できてしまう。それが少し怖かったのです。だから、あえて日本人が少ない環境を選びました。中国語を勉強するしかない環境に身を置きたかったですし、学業にも集中したかったのです。

今考えると、かなり不器用な選び方だったかもしれません。でも、当時の自分にはその環境が必要でした。

これから大学を選ぶ人も、「有名だから」「日本人が多くて安心だから」だけではなく、自分が現地でどんな生活をしたいのかを考えて選ぶといいと思います。安心できる環境が合う人もいます。逆に、あえて厳しい環境に飛び込んだ方が伸びる人もいます。私は後者でした。

出願完了。でも4月はけっこうきつかった

1月中旬には、なんとかすべての出願書類を提出し終えました。そこからは、5月の合格発表を待つだけ。一見、やることが終わって楽になったように見えます。でも、精神的にはここからの方がきつかったです。特に4月。

日本の大学に進学した同級生たちは、入学式の写真をSNSにアップし始めます。スーツを着て、大学の看板の前で写真を撮って、新生活が始まっていく。それを見るたびに、少し置いていかれたような気持ちになりました。

私はまだ合格しているかどうかもわかりません。進路も確定していない。大学生にもなっていない。でも、高校生でもない。なんとも言えない宙ぶらりんな状態でした。「もし落ちていたらどうしよう」「この数ヶ月、何をしていたことになるんだろう」「自分だけスタートが遅れているんじゃないか」。そんなことを考える日もありました。

正直、SNSを見るのが嫌になることもありました。みんなが前に進んでいるように見えて、自分だけ止まっている感じがしたからです。

でも、今同じような状況にいる人がいたら伝えたいです。4月に不安になるのは普通です。周りと違う道を選んでいるなら、焦るのも当然だと思います。ただ、出願までちゃんと準備してきたなら、あとは待つしかありません。周りと比べても、結果が早く出るわけではないからです。

私もそのときは不安でした。でも5月に、無事合格通知を受け取ることができました。

9月までの4ヶ月間は、少し変なギャップイヤーだった

5月に合格が決まってから、9月に台湾へ渡航するまでの約4ヶ月間。私にとっては、少し変なギャップイヤーのような期間でした。大学には受かった。でも、まだ台湾には行っていない。周りの同級生はもう大学生活を始めている。そんな中で、私はアルバイトと勉強をしていました。

週5日ほど居酒屋でアルバイトをして、台湾での生活費を少しでも貯めようとしていました。留学は楽しみでしたが、お金の不安もありました。台湾は日本より生活費が安いとはいえ、渡航してすぐに余裕があるわけではありませんでした。家賃、食費、教材費、交通費。考え始めると、やはりお金は必要でした。そのため、とにかく働きました。

空いた時間には、中国語の勉強や、入学後に専攻する管理科学の基礎知識の勉強をしていました。今思うと、完璧に準備できていたわけではありません。でも、何もしないで不安になるより、少しでも手を動かしていた方が気持ちは楽でした。

この期間にひとつ強く言いたいのは、ビザの申請は早めにした方がいいということです。これは本当に大事です。書類の準備や発行には時間がかかることがあります。1週間で終わると思っていても、時期によってはもっとかかることもあります。台湾行きが決まったら、航空券や荷物の準備だけではなく、ビザ関係もすぐに確認しておいた方がいいです。ギリギリになると、かなり焦ります。

いざ台湾へ。でも待っていたのはキャンパスライフではなく隔離生活

2021年9月、ついに台湾へ渡航しました。「いよいよ台湾の大学生活が始まる」そう思っていました。でも、当時はまだコロナ禍の真っ只中です。

台湾に到着してすぐ、私は政府指定の隔離ホテルに入りました。そこから3週間、完全に外へ出られない生活が始まります。正直、きつかったです。部屋から一歩も出られない。食事は毎日決まった時間にお弁当が置かれる。誰とも直接会えない。外の空気も吸えない。

そして毎朝8時にはPCR検査。鼻の奥まで棒を入れられる、あの検査です。隔離中だからゆっくり寝られるかと思いきや、朝早くに強制的に起きる生活でした。

最初の数日は、まだ少しワクワクもありました。台湾に来た実感もありましたし、「ここから始まるんだ」と思っていたからです。でも、数日経つとだんだんしんどくなってきます。外に出られないだけで、こんなに気持ちが重くなるのか。そのとき初めて実感しました。

隔離中は、YouTubeで台湾人クリエイターの動画を見て、少しでも台湾にいる感じを味わっていました。運動不足にならないように、シャドーボクシングの動画を見ながら部屋の中で体を動かすこともありました。あとはゲームをしたり、大学の準備をしたり、ただぼーっとしたり。

洗濯も大変でした。外に出られないので、当然コインランドリーにも行けません。日本から持ってきた洗剤を使って、ホテルの浴槽で服を手洗いしていました。今思えば少し笑えます。でも、当時は本当に必死でした。洗って、絞って、部屋の中に干して、乾くのを待つ。そんなことを毎日やっていました。

台湾に来て最初にしたことが、キャンパスを歩くことではなく、ホテルの浴槽で洗濯すること。これは今でもよく覚えています。

隔離ホテルで迎えた、大学最初の授業

そんな隔離生活の中で、大学の授業が始まりました。大学生活の初日といえば、普通はキャンパスに行って、教室に入って、新しい友達と出会って、少し緊張しながら授業を受けるものだと思います。

でも私の大学最初の授業は、隔離ホテルの部屋の中でした。机の上にパソコンを置いて、画面越しに授業を受ける。それが私の大学生活の始まりでした。

当時専攻していた管理科学の授業も、最初はすべてオンライン。画面の向こうには台湾人の同級生たちがいて、すでにキャンパスで大学生活を始めている人もいました。一方で、私たち留学生は隔離が必要だったため、キャンパスに行けるのは3週間後。この3週間の差が、当時の自分にはかなり大きく感じました。

「もうみんな仲良くなっているのかな」「3週間遅れて入って、ちゃんと輪に入れるのかな」「中国語もまだ完璧じゃないのに、大丈夫かな」。そんなことを考えながら、画面越しの授業を受けていました。

授業内容そのものよりも、「自分だけまだ部屋に閉じ込められている」という感覚の方が強かったかもしれません。台湾には来ている。でも、まだ台湾生活は始まっていない。そんな不思議な感覚でした。

本当の台湾生活は、3週間遅れで始まった

長かった3週間の隔離が終わり、ついにホテルを出る日が来ました。荷物をまとめて、初めて交通大学のキャンパスへ向かいます。画面越しでしか見たことのなかった同級生たちと、ようやく直接会える。やっと自分も大学生活の中に入れる。そう思うと、緊張もありましたが、それ以上に少しほっとしました。

もちろん、そこからすべてが順調だったわけではありません。中国語の壁もありましたし、日本人が少ない環境で戸惑うこともたくさんありました。でも、あのとき自分で調べて、自分で準備して、誰も前例を知らない道を選んだ経験は、その後の台湾生活でかなり大きな自信になりました。

周りが日本の大学受験に向けて進んでいる中で、ひとりだけ違う道を選ぶのは不安です。特に高校生のときは、周りと違うだけでかなり怖く感じます。でも、違う道を選んだからといって、間違っているわけではありません。

私も最初は不安でした。先生も正解を知りませんでした。同級生にも、同じ道を進む人はいませんでした。台湾に着いても、最初の3週間はホテルの部屋に閉じ込められていました。それでも、なんとかなりました。

そして今では、あのとき台湾進学を選んでよかったと心から思っています。日本人が少ない環境に飛び込み、周りより3週間遅れでスタートした私の台湾生活は、そこからようやく本当の意味で始まりました。

周りと違う道が不安なのは、たいてい、聞ける相手がいないからです。私のときも、先生は前例を知らず、同じ道を行く同級生もいませんでした。最初は、具体的な計画なんて何もなかった。それでも、ひとつずつ調べていけば、道はちゃんと見えてきます。
あのころの私がいちばんほしかったのは、「先に通った人に聞ける場所」でした。今度は、それを私がつくりたいと思っています。


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